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| 2005年に取材したものを掲載しています。 |
| 『北前船』とは |
北前船とは江戸時代から日本海側を北海道から大阪まで往復していた船で、一般的には、河村瑞賢が寛文十二年(1672年)に庄内地方(山形県)の御城米(天領の年貢米)を大阪経由で江戸まで運んだ「西廻り航路」の船のことを称しています。なお、「西廻り航路」については、加賀藩が寛永16年(1639年)に大阪まで蔵米を運んでおり、これが「西廻り航路」の始まりといわれています。
「北前船」は電信や大型の汽船、鉄道の進出で明治末期には衰退してしまいましたが、全国各地に当時の繁栄を偲ばせる物が今も残っています。 |
| 『日和山(ひよりやま)』とは |
| 日和山とは、港の近くにある小高い場所で、そこから天気を予測したり、船を見つけたりしました。日和見る(ひよりみる)とは、有利な方に付こうとしてはっきりした態度を示さないことを言いますが、お天気を見ることでもあります。(今日のご機嫌はいかがかな?晴れか曇りかまさか雷!?ってな具合です。) 当時、海の天候を予測することは、つまりは命に関わることでした。いくら立派で大きな船で船頭が優秀でも、台風が来ている時に海に出ては助かりません。船が積荷ごと沈んでしまい大豪商が一夜にして全財産を無くしてしまうことは、よくあったことのようです。
全国津々浦々には必ずと言っていいほど日和山があり方角石が据えられ、この場所で風の強さや向きなど(判断材料はもっとあるでしょうが)を見て出帆のタイミングを計っていたのです。 また、高い場所ですから船からも見つけやすいため、灯台(高灯籠・常火灯)が据えられていたりもしました。山が無いところでは、山を作ったり(大阪・天保山など)、高いやぐらを建てる(新潟港)ところもありました。 日和見(ひよりみ)が上手だったら、もっと上手に世の中を渡れたのになぁー、とたまーに思ったりします。 |
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