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日本海を知る

にぎわい探検隊 北前船の巻

其の壱拾九 伏木港(富山県高岡市)

伏木港開港の祖、藤井能三の銅像(伏木小学校の校庭に建っています)<br />なぜか白黒写真です・・・

伏木港開港の祖、藤井能三の銅像(伏木小学校の校庭に建っています)
なぜか白黒写真です・・・

 今回は伏木港です。現在の特定重要港湾の伏木富山港 伏木地区で富山県の西側、高岡市の小矢部川の河口にあります。伏木港は河口港のため上流から運ばれてくる土砂が次第に港内に溜り(これを「埋没」といいます)、放っておくと水深が徐々に浅くなり大型船が入れなくなるので、その土砂を取り除く作業(この作業を「浚渫」といいます)が必要でした。その埋没からの脱却のため、現在、外港整備を進めており、船舶の大型化で手狭になってきた河口部から沖合に展開し、伏木港は大水深岸壁をもつ港に変貌しつつあります。
 伏木にまつわる有名人に「大伴家持」がいます。万葉集に多く歌を残した詩人です。746年(天平18年)にここ伏木に越中国府として着任し、5年間の在任期間に富山を詠んだ歌は270余首にものぼります。高岡市は万葉集に関する施設として「高岡万葉博物館」を建てるなど、万葉の詩情あふれる文化都市を目指しています。

旧秋元家、海から引き揚げられた北前船のイカリがありました

旧秋元家、海から引き揚げられた
北前船のイカリがありました

秋元家の説明

秋元家の説明

望楼です

望楼です

望楼からは伏木の町並みがみえます

望楼からは伏木の町並みがみえます

 それでは、まずは「伏木北前船資料館」から。ここは回船問屋だった「秋山家」を資料館として利用しています。伏木港を見渡せる高台にあり、港を見張るための「望楼」を備えています。当然「望楼」にも上がって、そこから伏木の町並みが見渡せます(港は遠く見えます)。望楼へ上がるための通路は狭くて、望楼の中は二畳分くらいの広さです。まるでぬけ穴を通って秘密基地に行くようになっています。ぜひ一度登ってみてください。でも登る時は注意してください。急な階段なので足元ばかり気にしていると、低い天井の梁に頭をぶつけてしまいます。(でもなんか楽しいです)
 また、他にも北前船のパネルや模型、船で使った道具など、資料も盛りだくさんです。

遠めがねと磁石

遠めがねと磁石

懐中仏

懐中仏

多くの「北前船」の絵馬

多くの「北前船」の絵馬

北前船で運ばれた石が庭石になってます

北前船で運ばれた石が庭石になってます

 次は藤井能三(ふじい のうぞう:1846〜1913)の銅像です。藤井能三は伏木の回船問屋の長男として生まれ、青春期はちょうど開国から維新にかけての激動期、そして明治の近代化の波が押し寄せてきた時代でした。明治6年に教育が第一と考え、県下発の公立小学校、伏木小学校を設立しました。校舎は彼の持ち家、教師の給料から教科書まで負担しました。(それで伏木小学校に銅像が建っているわけか・・・)

藤井能三像

藤井能三像

開港当時の面影が残る高岡商工会議所伏木支所 明治41年に伏木銀行として建てられました

開港当時の面影が残る高岡商工会議所伏木支所
明治41年に伏木銀行として建てられました

 彼は加賀藩の御用人の時、神戸出張で見た海外からの蒸気船や海外の荷でにぎわう神戸港の隆盛に衝撃を受け、伏木港の近代化の必要性を痛感し、三菱汽船の代理店となるため、伏木に荷をかき集め、灯台の整備をして、三菱の創業者岩崎弥太郎に伏木に汽船を寄港させるように認めさせました。伏木港は東京・大阪・北九州・北海道と三菱の汽船で結ばれることになったのです。その後も三菱に対抗して宮林家・馬場家の地元回船問屋と供に「北陸通船会社」を明治14年(1881年)に設立、三菱との激しい競争の末に倒産してしまいますが、引き続き協力者と近代港湾としての整備を働きかけ、ついに明治32年(1899)に伏木港は開港場(外国との貿易が可能な港)の指定を受けたのでした。これが藤井能三を伏木港開港の祖と呼ぶ由縁です。

如意の渡し

如意の渡し

乗船記念にどうでしょう?

乗船記念にどうでしょう?

渡し船

渡し船

義経と弁慶の銅像もあります 後ろに新伏木港大橋(仮称)の現場詰所が見えます

義経と弁慶の銅像もあります
後ろに新伏木港大橋(仮称)の現場詰所が見えます

「如意の渡し」の説明 ところでタッキーの演技なかなかでしたね

「如意の渡し」の説明
ところでタッキーの演技なかなかでしたね

北前船主「棚田家」、要予約です 行ったら閉まってました・・・

北前船主「棚田家」、要予約です
行ったら閉まってました・・・

 また、伏木港には小矢部川の河口に渡し船があります。「如意の渡」です。奥州に落ちる途中の義経一行が、ここ「如意の渡」で義経であることを見破られそうになり、その時家臣の弁慶が扇で義経を打ちのめし、なんとか「如意の渡」を渡ることができたという話があるそうです。この話は「安宅の関」や「勧進帳」の元になったとのことです。現在新伏木港大橋(仮称)が平成20年の完成を目標に整備が進んでいます。この橋が完成したらもしかしたら、この「如意の渡」も廃止になるかも・・・行くなら早めがいいですよ。

新伏木港大橋(仮称)が工事中

新伏木港大橋(仮称)が工事中

橋脚が出来てきました

橋脚が出来てきました

 伏木は港としての歴史が深く、万葉の時代から中世、北前船、近代、現代と話題はつきません。他にも「高岡市万葉歴史博物館」(遣唐使船の模型有り)、北前船主「棚田家」の屋敷(登録有形文化財)なども見たかったのですが時間が無くて・・・さらに伏木曳山山倉や義経伝説のある「雨晴(あまはらし)海岸」(天気が良ければ立山連峰も海越しに見える!)も行きたかったです。
 もっとじっくりと散策してみたい伏木港でした。

「如意の渡」にあった案内地図です

「如意の渡」にあった案内地図です

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2006.4.1 (by 隊長)