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活動紹介

にぎわいフォーラム : 日本海にぎわい・交流海道ネットワーク 10周年記念フォーラムin酒田 フォーラムテーマ 「港のにぎわい・交流・まちづくり」 平成17年度はこちら フォーラム風景の写真
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パワーポイントデータをダウンロード司会:司会の中本でございます。よろしくお願いいたします。

本日のフォーラムでございますけれども、主催は日本海にぎわい交流海道ネットワークでございます。皆様方の中には、このフォーラムで初めてお聞きになられた方もいらっしゃると思います。

このネットワークの紹介も含めまして、まずはネットワークの代表であります篠田新潟市長よりごあいさつをいただきます。篠田市長、よろしくお願いいたします。
 
篠田市長:みなさんこんにちは。

今日は、日本海にぎわい交流海道ネットワーク10周年記念フォーラムin Sakataという催しに、このように大勢がお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

私このネットワークの代表を務めさせていただいております新潟市長の篠田でございます。

今日、ちょっと早く酒田に到着をして、酒田の港とその周辺を見せていただきました。大変に素晴らしく、港の機能が整備されていて、そしてそれ以上に、歴史ある美しい港・町、そういう雰囲気が、本当に定着してきたというか、そういうふうに感じてきました。酒田の皆様のご努力、深く、敬意を表させていただきます。

私どものネットワーク、平成7年に組織されたということで、北は北海道、南は九州までの、あらゆる日本海側の皆様に、これがゆるやかに連携して、日本海を、江戸時代、北前船でにぎわったような、にぎやかな地域振興をという願いを込めて活動を続けてまいりました。

今年は発足してから10年ということで、こういう形で、市民の皆様に開かれたフォーラムということで開催させていただきます。

今回のテーマ、海の「港のにぎわい・交流・まちづくり」と、こういうテーマということで、コーディネーターを中心にして、このフォーラムから、また日本海側のにぎわいが復活し、さらに日本海の港都市の連携というものが生まれてくれば大変素晴らしいというふうに思っております。

地方の一介の立場として、日本海側に、我々が、まだ地方の時代、我々が開くというふうな形で、本当に思い描いた、まだちょっと時間がかかるかなという気がしますけれども。

今日は昨日から新潟市で三位一体の改革を論議する全国知事会議が新潟市で開かれております。論議がまとまればいいなというふうに思っておりますが、そういう努力、これは地方の時代は黙っていては到来しないということですので、私ども一人一人が努力をして、地方の時代、地方主権の時代を切り開いていただきたい。このネットワーク、フォーラムが、その地方の時代を切り開くステップになればと思っております。


本日は最後まで、よろしくお付き合いをお願いしたいと思います。どうも今日は大変ありがとうございました。
 
司会:篠田市長、どうもありがとうございました。舞台の方の準備いたしましたので少々お待ちください。


本日、フォーラムに対しまして幾つか祝電いただいておりますので、ご披露させていただきたいと思います。

「10周年記念フォーラムのご盛会をお祝い申し上げます。かつて人・文化・物を運び、繁栄を誇った日本海沿岸地域の所在を再確認し、対岸を見据えた環日本海交流の活性化に向けた関係者皆様の取り組みに敬意を表しますと共に、このフォーラムの成功とご参加皆様のご健勝をご祈念申し上げます。」
参議院議員・阿部正俊様でございます。

「日本海にぎわい交流海道ネットワーク10周年記念フォーラムの開催を心よりお慶び申し上げます。このたびのフォーラムが大いに有意義なものになりますようご期待申し上げます。貴会のますますのご発展とご参加皆様方のご健勝をお祈り申し上げます。」
参議院議員・岸宏一様でございます。


「日本海にぎわい交流海道ネットワーク10周年記念フォーラム開催おめでとうございます。このたびのフォーラムの交流と連携により、総合的なネットワークの形成にますます発展することをご期待申し上げます。
貴会のますますのご発展とご参加皆様方のご健勝をご祈念申し上げます。」

参議院議員・泉信也様でございます。

それでは準備ができましたので、パネラーの皆様方、席のほうによろしくお願いいたします。
 
司会:それではまず、私の方から。

フォーラムのまとめ役といたしまして、コーディネーターをお願いしております水戸部浩子様のご紹介をさせていただきます。

水戸部浩子様は酒田港女みなと会議の座長を務めていらっしゃいます。生活に密着した女性の視点から、みなとの戦略・利用を考え、行政等を研究しながら、魅力ある良い港づくりを目的に設立された酒田港おんなみなと会議でございます。

水戸部さんはこの会議におきまして、座長として市民と港を結ぶ橋渡し役としてご活躍されております。また現在、国土交通省社会資本整備審議会河川分科会山形県地方港湾審議会の委員を務めておられます

。それではコーディネーターの水戸部様、よろしくお願いいたします。
 
水戸部:皆さん、あらためてこんにちは。ご紹介いただきました水戸部でございます。

女みなと会議、なんか塩辛い風が吹いてくるような、演歌の流れのような、1度聞いたら忘れられない妙な響きを持つ言葉ですが、私自身は、この女みなと会議、とても気に入っているんです。ま、個人的な話ですけど。

今日は、日本海にぎわい交流海道ネットワークの10周年総会ということで、記念の会合を酒田にもってきていただきまして、まずはありがとうございました。御礼を申し上げます。

都道府県で言いますと、14団体。それから市町村で申し上げますと、79団体で構成されているんだそうです。

実は私、日和山の近くに住んでおりまして、海が見えることはもちろんですけれども、汽笛が聞こえるんですね。汽笛っていうのはだいたい円周2キロくらい届くように鳴らされるらしいんですけれども。これは確かなところは田中さんに聞かなきゃわかりませんけれど。もともとは船乗りが陸に恋して帰っておいでよというふうな合図で汽笛が鳴らされた。あの響きは何とも言えない哀愁があります。今日のフォーラムも響きあう、ということで、会場の皆さんとパネリストの皆さんと、共に響きあう何か一点があればいいなというふうな思いで進めさせていただきます。

今日、パネリストとしてご出席いただいていますお一人お一人をご紹介申し上げます。

大井紀子様、日本テレビコンプライアンス推進室考査部参与ということで、ずいぶん長くてちょっと舌噛みそうな名前ですけれども。もっとわかりやすく言えば、彼女は前には現場を担当しておられまして、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」ですとか、「知ってるつもり!?」これなんかは皆さんご存知かと思いますけども「おしゃれカンケイ」などをプロデュースしておられました。

そのタイトルを聞いてもおわかりのように、ドキッとするような日本語を使われて、人気番組に仕立て上げた名プロデューサーでございます。新港湾ビジョン、日本の港湾の行方を示す新港湾ビジョンの懇談会委員になっておられまして、その流れで私も彼女を知ることができました。今年からふるさと富山県の新港土地利用検討委員会ですか? これも長いんですね、委員を務められておられます。

次は田中三郎様です。

郵船クルーズ運航部長をなさっておられます。なんかドクトルマンボーが憧れそうな職種ですけれども。昭和44年に日本郵船株式会社に入社されて航海士として、貨物船、コンテナ船舶に乗務、勤務されておられました。その合間に母校の鳥羽商船高等専門学校の航海科教官を務めて、後輩の指導にもあたっておられます。昭和63年から客船業務にうつりまして、あの有名な豪華船飛鳥の運航業務を全般的に面倒見ておられます。本当に楽しそうなお仕事ですね。

次は我らが酒田市で期待しております阿部市長さんです。

お待たせいたしました。拍手もありがとうございます。
今回の、この会合の副代表を務めておられます。ご存知の方もおありだと思いますが、阿部市長さんは旧建設省に入省されまして、今話題の社会資本整備に関するお仕事をなさっておられました。平成11年に酒田市長に当選されて、2期目でございます。

これから懇親会総会の後にございますけれども山居倉庫に併設されました酒田夢の倶楽(ゆめのくら)を彼が就任されてからオープンされた。それからまた新しいところでは、さかた海鮮市場など話題を賑わせております。最近ではリサイクルポートの構想を促進しようということで頑張っておられます。山形県一若い市長さんです。

次はですね、篠田新潟市長さんですけれど。

私はかねがねですね、篠田新潟市長さんはスマートな方だというふうにお伺いしておりました。今日学歴を拝見して、それが納得いきました。なるほどとと思ったのは、きっと新潟日報にご勤務されておられる時も英字新聞だけは読んでおられたのではないかしら。いうふうに想像しております。

上智大学の外国語学部をご卒業後、新潟日報に入社されて、マスコミ畑で活躍された後に、平成14年11月から現職についておられます。日本海の網元といってもいいくらい、網元的存在の新潟を代表しまして、このネットの代表を勤めておられます。先ほどごあいさつも頂戴いたしました。

最後になりますけども、身内のような方ですけれど、酒田港湾エリアを管理されておられます野竹和夫副局長さんです。

野竹副局長さんは旧運輸省に入所されて、海ではなく陸の方、鉄道を。国有鉄道改革に、改革推進部に籍を置かれて、長いこと陸から海を見ていた人といえばよろしいかと思います。平成17年、鉄道局を経過されまして、関東運輸局の次長さんをされ、今年の7月東北整備局の副局長さんとして就任されました。ほやほや、まっさらの副局長さんです。

これまでは大方、陸のほうに、勤務が長かったので、陸の方から海をご覧になって、少し辛らつなご指摘もいただけたらなというふうに思っております。以上がパネラーの皆さんのご紹介でございます。

それでは続きまして、事業報告といいますか、情報提供ということで、民間人を代表しまして、お二人の大井さんと、それから田中さんにですね、最初のご発言としまして、事例発表をしていただきたいと思います。

15分というお約束なので、みなさん15分過ぎたら手を上げてストップをかけてくださいませ。

内容が豊富で、そのままにしておきますと、1時間くらいしゃべってしまいそうなお二人なので、それだけが不安でございます。よろしくお願いいたします。
 
文中の写真を見る大井:はい、長いタイトルで大変恐縮しました。

日本テレビの大井でございますが、実は私、富山の新湊市というところに生まれまして。富山新港、今、皆さんご存知かと思いますが、特定重要港湾の19番目になっている港町なんですが、ずっとみなとが変化している状況を高校卒業するまで、そこで体験をしたということと、日本テレビというところに入って、番組をつくって、ずーっと番組をつくってきておりました。

そうした番組をつくる観点と、まちづくりと、それから港というものを重ね合わせてくると、実際に見えてくるものがありまして、幾つか皆さんに提案をしたことが、こいつは少し発言させたら面白いなと思っていただいたことが重なって、今日も呼んでいただいたのかと思っております。

なにぶん、私、しゃべり出すといろんな話をしてしまいますので、先ほどから15分ということで、厳しく言われておりますので、手短に話したいと思います。本当にテレビの話と同じで気楽に、テレビをご覧になるように肩の力を抜いてお話を聞いていただきたいと思います。

あの、そうした番組づくりの観点から見てきますと、まちづくりというのは意外と難しいものではないなと、実際にやるとなると皆さん難しくてと頭を抱える方が多いんですけれども、実際にまちにあるもの、それからこのまちのウリ、それから産業、これもウリですよね。それと、人と出会う場所をつくること。人を歩かせてまちを発展させること。そして、食べ物の文化を上手くつくり上げていくこと。すでにあるものを活用すること、出会う場所をつくること、うまいものを食べて、それで話し合える場所、それを上手くつくってあげることがいいな。

それ、番組もそうなんですよ。ウリはなんだろう?この番組の。それで、案内役は誰なんだろう? どこで誰と出会わせて、人を笑わせようかな、寛がせようかな。それで最後に、ああ旨かった!の変わりに面白かった!と思わせることが番組の3要素。それをまちづくりに当てはめていこうというふうに考えてきたわけなんですね。

皆さんがもし、今3要素っていいますか、3つのこのポイント、ちょっと頭の中においていただきますと、「おっ、自分の町もこれあるぞ、あるぞ」「あっ、これくらいの場所ないな。つくってみるかな」ということにもしかしてなっていただければ、幸せだなと思います。

そのひとつに、今私が体験をしてきた富山新港、これが小さな港だったんですが、1971年特定重要港湾になって、それで新湊市の西と東に分断されてしまって、そこに港ができたということで、一つ東側の方に。えーと西側の方には「海王丸パーク」っていうのができました。写真を一つ、見せてください。海王丸ができて、いえ、違います。ごめんなさい。これは東京都なんですけど、あ、じゃ東京が出ましたから、東京都から始めます。

あの、同じ観点なんですけれども、東京といいますと、ビルが今たくさんできております。今、見所の3要素といいますのは、汐留、それから丸ビル、六本木ヒルズだそうなんですが、どれもビルです。

ビルを見学しても寛げないんじゃないか、そこにはいっている商店街や食べ物屋さん、これもいまひとつ。今、頭をひねっている。そういう時に臨海副都心のお台場、みなさんお台場って言えば、フジテレビが実はあるんですけどね。日本テレビは汐留なんですけど。あの、その反対側に、そのお台場の有明よりのところにできた、なんと、これが大江戸温泉物語という、物語のある温泉なんです。臨海副都心の東京都の土地に新しく民間が借り受けて、一千メートル掘り下げて、温泉をつくりました。

写真を出してください。東京はビルだけじゃつまらないし、江戸文化がなくなってしまったんではないか。

これは浴衣です。入ったらすぐにこの浴衣に着替えて、18種類の浴衣があります。この浴衣をまず着替えていただいて、次お願いします。これが八百屋お七の浴衣だそうなんですが、ほとんど江戸時代にちなんだ浴衣を私たちは着るわけなんです。もちろん男女いろいろあります。 次お願いします。

これは温泉の入り口です。これも江戸時代に合わせて、中は、江戸色一色に塗りこめられています。次お願いします。これは参勤交代の湯といいまして、多分わからないんですけれども、熱いのとぬるいのが、こう交代するんじゃないかと思いますけどね。ネーミングが面白いですよね、江戸時代参勤交代に合わせて、参勤交代の湯と名前をつけています。 次お願いします。

これはちょっと見ずらいかもしれませんが、東海道五十三次といいまして、浴衣をちょっと上げて、足つぼの湯と言って、ここずっと歩くんですね。それで五十三次を味わうということで、東海道五十三次の湯と。 はい、次お願いします。

それで遊ぶ場所もゲームするところも全部、これは江戸の庶民が遊んだ吹矢とか、それから次お願いします。
これが、輪投げですね、こういったものを情緒豊かに遊ぶようになっております。 次お願いします。

これは広小路といいまして、昔広小路が食べ物屋さんが江戸時代はたくさん狭いところに食べ物屋さんのお店が並んだということで、それを今ここで再現をしているということでこれは広小路というところで、みなさんこの浴衣を着た人たちがご飯を食べているという状況です。 次お願いします。

東京は食文化は貧しいです。何でも食べることはできるんですけど、じゃあ、何が食べられる、何が代表かというと頭をひねってしまいます。もんじゃ焼きかなとか。もんじゃ焼き、本当に庶民のものですけど。こういうとこであんまりもんじゃ焼きふさわしくないということで、お団子ふうのものが出たり、まあてんぷらが出たり、ここはもう一つ食文化が確立されてないかなというところであります。 次お願いします。

これは、全体。江戸が、いわゆる役者さんがたくさんいて、それで踊りを踊ったり、芸術を楽しんだという文化もあるので、そういったものをここには楽しむことができます。

はい、お願いします。役者さんです。 次お願いします。

これは、何と犬がお風呂に入っているんですけど、綱吉の湯です。これはモデルの犬をちょっと入れて、PR用に東京都がちょっとせっかくだから、湯だけだと分かんないからと、犬入れときましたっていうことで、犬が入っています。これは綱吉の湯といいまして、ペット同伴でお風呂には入れますよということで綱吉。

はい、次お願いします。これは、壺なんですが、これも綱吉のお風呂のさっきの犬が入っていた反対側に壺があります。 はい、お願いします。

そういうことで、犬があがった後ドライヤーをかけて、ご主人は先ほどのところでお風呂に入って遊んでペットがお風呂からあがるのを待って帰ると。 次お願いします。

まあ、これが全体の人が入っていませんけど、たったあれだけのお風呂じゃないんですよ。エステもありますし、さらにうぐいすのの宿とか、何十種類、十数種類のお風呂があります。なぜここお台場に臨海副都心にこういうものが登場したかといいますと、実は都会のオアシスっていうのはなんなんだろう、人と人とがであって話して、食べるところは、ビルとビルの間だったらちょっとつまらないんではないだろうか。

せっかく海沿いに東京が東京湾っていう素晴らしいものをたたえていても、こういう江戸文化を再現するものはないんじゃないかと、いうところで、民間が力を入れ、これをつくりあげたというところがあります。

それではどうもありがとうございました。

それで、じゃ、次、先進みます。

後先なってしまいました新湊市にいきたいと思います。お願いします。

新湊市はウリモノはこの絶景かなと。世界に、私は最初一つと聞いていたんですが、最近二つだそうなんです。日本海に浮かぶ立山連峰、この立山を見る景色という、山を海から見る景色という、こう壁のようになっているその景色は、世界に今なんかスイスに1ヶ所あるということらしいんですが、こことそのもう1ヶ所、スイスのどこかはちょっとわからないんですが。だけといわれる素晴らしい景観を持っております。

ここに今、海王丸がここに停泊されていて、その一つ隣に新しく今、新しい14mバースが出来て、昨年飛鳥が寄港しました。それでこの、これは西側の港なんですけれど。すいません、次をお願いします。

これは分断された東側のところなんですが、上の方にあるのはマリン、ヨットハーバーです。次お願いします。

今、現在、こういうふうにヨットハーバーになって、非常に西側が同じく立山がありますが、西側は海王丸、東側にはヨットハーバーというような、非常にモダンな、今たたずまいをもっております。何しろ分断されてしまったので、それをなんとか、港をこうまわらないで、橋を渡したいと。今実はこれ、渡し舟でわたって、渡船で渡っているんですが、そこには2002年から。次お願いします。

ちょっと見づらいでしょうか。あの、橋が。これは国土交通省からお借りしているものなんですが、これは予想完成図です。次お願いします。

海王丸の横をこのように橋が架かるという事で、2012年、東京のベイブリッジか、横浜に建ったベイブリッジか、レインボーブリッジか、または新湊大橋かといわれるようなものにしたいという意気込みがあります。

ま、ここに確かに海王丸がいて、向こうに飛鳥が停泊して、橋がこのようにあって、イルミネーションが加わると、大変観光的には豊かになるという新しい取り組みを今していますが、一方、この橋が架かることによって、さらに東から西には行くけれどもまちに人は寄らないんではないだろうかという懸念が十分考えられております。

それをなんとか防ぎたいということで、次お願いします。これは海から入った、この奥に海王丸があるんですが、海から入ったそこに、万葉線という今電車が入って、ここの景観、内川の景観なんですが、これが非常に昔の漁業の名残を残しておりまして、この景観も素晴らしいと。

つまり今この新湊市は景観をいかした街づくり、港からどう景観を生かすんだろうかということをまちづくりを取り組んでおりまして、これをすべて遊歩道にして、人々が歩いて町に入る、新湊、港から町に入り、歩いて行こうと。いうまちづくりを、取り組みを今はじめました。次お願いします。

これは新湊市は内川に幾つか素敵な橋が架かっているんですが、これは東橋という橋なんですが、この横にも遊歩道を今つくっております。次お願いします。

遊歩道がつくりはじめこれは神楽橋というステンドグラスの橋なんです。内川には幾つもの素晴らしい橋を一つずつ、彫刻の橋なんかも架けておりますが、ここに遊歩道をつくろうと。港からずっとこの内側の3.4キロを遊歩道で歩いていただこうという取り組みです。次お願いします。

これは遊歩道をつくっております。内川から立山を見ることができる、その景観を楽しんでいただきたい、ということで。はい、次お願いします。遊歩道ですね。はい、いろんなかたちの遊歩道がありますね、それは町の、その町内の人達が、自分たちでこういう感じにしたいということで取り組んでいるようです。次お願いします。

新湊は漁業が盛んで、朝晩2回せりをやる、有名なところです。朝のせりをやったものは昼食べていただく、昼競りをやったものは夜食卓に並べるということで、非常にキトキトの魚ということでウリモノにしている。カニ、特に、皆様は新聞などで、今年でしたでしょうか。給食でカニを出したところでも有名です。それで、カニ祭りもやっておりますし、海鮮祭りもやっております、ということで、カニをこれから売り出していこうと。次お願いします。

これは寿司です。つまり、寿司が二十数件、寿司屋さんがあるんです。それがみんな潤っているらしいんで、いつも満員なんですね。やはり新湊に来たら美味しい寿司を食べるという食文化をこれからつくりあげよう、カニを食べ、ウニを食べ、それでお寿司を食べる。で、町を歩いていただいて、そこでまちの活性化をなんとか図りたいという取り組みをしているというところであります。ありがとうございました。

今、東京都と新湊市の話をここでさせていただきました。

ほぼ時間が来たんですが、酒田市の魅力について、一つここで語らせていただきたいと思っております。

実は、酒田市に日本一といわれるもの、とても多くありますね。びっくりしました。日和山公園の六角灯台、日本一古い。それから日本一の大地主の本間邸の跡、それから鐙屋でしたか? 廻船問屋、それも江戸時代から有名で。それから井原西鶴の日本永代蔵にも出ました鐙屋でしたか。それから遊郭を思わせるような、遊郭ではないんですが、相馬樓があったり。非常にその江戸文化を楽しむことができ、歴史の跡がたくさんあります。

ただし、私は昨日も、あの、ちょっといろいろちょっとありまして、車でここへくることになったんですが、車ではたくさん、車は走っていますが、人が歩いてないんですね。やはり、港と山居倉庫、そして今話したような日本一の誇るものがたくさんある文化の残っているところですので、やはりそこのまち歩いて楽しむということが必要だと思います。

特に新しく山居倉庫ができたのはとても魅力でした。ただ昨年も私この、参加させていただい時に、庄内米をもっとPRしてもいいんじゃないかと、つまり酒田港は、酒田市は庄内米で栄えた歴史があるまちですので、もっと庄内米をPRしてほしい。

そしてヘルシーな食べ物として、私はおにぎりを食べながらまちを歩くようなまちづくりをしてほしい。また紅花も素晴らしいというふうに伺っております。ただ飛島にも食もたくさんあるわけですから、そういった海の幸、米を利用したまちづくりというのは十分可能です。山居倉庫を酒田市の拠点、おへそにしてそこで食べるものはまず庄内米、酒田市の、昔から庶民が食べた赤かぶ、夢の蔵にありましたが写真が出ておりました。そういったもの。

それでまちまちには、若い人たちがこのまちをガイドしていただくような、たとえば、今ここの東北公益文科大学でも、その酒田市の文化を学ぶことで、つまり単位が出ますとか、そういうような運動をして、例えば山居倉庫、あるいは相馬邸、あるいは鐙屋。みんなあのアルバイトではなくてボランティアで、若い大学生が参加して、自分たちのこのまちの良さを外に、外から来た人、それからまちの人たちにもPRできるような、そういった人づくりもぜひ心がけていただきたいと思います。

さいわい酒田市は、とても若い市長さんがいらっしゃいます。

この市長さんのもとでは、そういうことも可能なんではないかと思いまして、あえて今日はお話させていただきました。ありがとうございました。
 
水戸部:大変はしょらせてしまいましたけれども、内容のあるお話で。
まして食文化のところは、女性らしい視点でしょうね。歩くとか。

それから東京の場合ですとお台場の斬新な試み、また江戸の伝統を継いだもの。必ずや伝統と斬新なもの、一緒に残さないと文化というものは生まれないというふうにいわれてますけれども、それを立証していただいたようなもので。

大井さんのふるさとは富山県です。
新湊、彼女が今取り組んでいる港おこしになるんだろうと思いますけれども、景観、魅力ある景観、これもまた女性ならではの、景観に関しては女性の方がうるさいし、早く言えば女性の方の関心度が大きいような気がします。

そういう意味でもこれから女性の時代に入った時に、もっと力をいるんじゃないかなという気がします。

次は田中さんにですね、航海士を踏まえた海からのメッセージをいただきたいと思います。
 
パワーポイントデータをダウンロード田中:皆さんはじめまして。郵船クルーズの田中でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

今日はこちらにも書いてありますけども、クルーズ船飛鳥と日本海クルーズと、こういうことでいろいろ、あの話をさせていただければと思います。

まずですね、今日ははじめにクルーズ船飛鳥についての話、クルーズ船の運航形態はどういうふうになっているのかということ。

そして寄港の目的と条件は何か、あとこのネットワークの港に、どれくらい飛鳥が寄ったのかという、その実績。

そして最後に日本海クルーズの魅力と、こういうことで話をさせていただきたいと思います。

ずっと左から飛鳥が入ってまいりました。飛鳥は、概要ですけれども、飛鳥は総トン数で言うと28,856トン、全長が192.8mということで、日本の船としては最大の客船になっております。これはハードの部分なんですけども。ソフトデータも一番下に書いてありますが、クルーズシップ・オブ・ザ・イヤーというこういうようなですね、制度があるんですけれども、飛鳥就航以来、12年間連続で受賞しているということで、非常にソフト的にですね、素晴らしい船と、このように評価をいただいております。

中に入ってすぐのところですけども、レセプションがありまして、そこではいろいろとホテルと同じように受付があったり、案内があったりいたします。

やっぱり船ですので、ちょっとプールとですね、左がジャグジーで、あったかいお湯になっております。ちなみにプールの方は海水、海水が一番きれいだということで海水でやっています。

船の中にはこのようなお遊びといいますか、カジノの場所もありますけど、実際これ、日本の船ですので、刑法の規定を受けますから、船の上でお金をかけるということはできないんですけども、ゲーム的にカジノをやったり、ルーレットをやったり、スロットマシーンで遊んだりと、このようなことができるようになっています。

これは、中で食事をしている風景ですけれども、飛鳥の食事、1日6回出てきまして、このようなところでですね、朝から晩までずっと食事をしているというようになりますので、体重を減らすのは大変かなと、このように思います。

これまた違う場所といいますか、さっきのプールが会ったところですね、上、蓋してしまって、そこにバンドを置いて、外でこのように天気のいい時はですね、デッキランチとか、デッキディナーということで、このようなところで食事をしたりもしています。

ただ夜になってくるとですね、その上で盆踊りをやってですね、みんなで楽しもうと、このような催し物が会ったりもしています。

こういうようなものが、今の飛鳥の概要なんですけれども、飛鳥そのものの簡単に日本海とのつながりを説明させていただきますと、91年の10月にですね、飛鳥ができたのは長崎の三菱重工長崎造船所でできあがりました。

これで日本の中で、日本の社会の中で、本格的なクルーズがこの辺りからスタートしまして、92年の9月、これ初めて飛鳥で日本1周をした時にですね、この日本海を飛鳥が通って行きました。

ちなみにその時に寄港した港は、ネットワークの市と若干離れているんですけれども、京都の宮津に寄港しております。

その後、96年に非常に話題になりました飛鳥による世界1週クルーズを実施しまして、翌年97年、これ、あの飛鳥にとっては非常に記録的な話なんですけれども、約1ヶ月間、この日本海をですね、北に行ったり、南に行ったり、ずっとここでチャータークルーズということが行われまして、このことによって、年間を通じたですね、飛鳥のクルーズのパターンというのができあがってきました。

でまた、今年の8月、これから先なんですけれども、日本海発着の自主クルーズということで、新潟、伏木、ウラジオ、伏木と、こういうようなクルーズを行う予定にしております。

これも発売して、すぐに売りきれるということでですね、大反響を起こしてまして、このことによってですね、日本海におけるクルーズというのが、大きく変わってくるんじゃないかと、このように思っております。

で、クルーズ船の運航形態なんですけども、今もちょっと出ました自主クルーズという運航形態が一つあります。

そしてもう一つ、チャータークルーズといって、船を全部借りきって、それでクルーズするという、そのチャータークルーズの中に研修クルーズ、そしてインセンティブクルーズ、あとは一般募集クルーズと、このようなクルーズに分かれていまして、今はもうほとんど一般募集クルーズという形をとっています。

その他、全体的に海域的にクルーズは、国内のクルーズと、そして海外のクルーズ、これ、みんな期間によってショートクルーズ、ミドルクルーズ、ロングクルーズと、このように分かれて、ま、こういうのがいろいろと組み合わさってですね、クルーズが構成されどのくらいに構成されているかということなんですけれども、航海数から見るとですね、自主クルーズという我々が計画するのが、だいたい51%。そしてあとチャータークルーズといわれるですね、船全体をどなたかが借りて運航するのは49%ございます。

そして長さ的にはですね、短期といわれる、せいぜい3泊4日までくらいのクルーズが87%ですから、もう大半が短いクルーズで構成されてて、長期といわれるですね、1ヶ月を越して3ヶ月4ヶ月にわたるようなクルーズはほんのちょっとしかないと。このような今構成になっております。

この我々がクルーズするときに、寄港をするわけですけれども、寄港をする目的というのは大きく二つに分かれていて、一つは乗下船を目的とする寄港というのがあります。

この場合、次のような要件が必要になっていまして、ターミナル施設が、乗下船をするのに当然ターミナルの必要性があると思います。

そしてあと、そこの場所は交通の利便性がよくなければならないと、こういう要件と。

3つ目として、集客力。やはりそこの港からお客さんが乗って、またその港に帰ってくるということなので、そこでいかに集客ができるかと、これが大きな要件であります。

で、もうひとつがですね、観光を目的とする寄港というのがありまして、この場合は、やはり港の近くに知名度の高い観光地があると、これがやはり大きな要件であります。

そしてあとは、その、そこの港のといいますか、まちでですね、半日観光ができたり、自由に歩けるですね、自由散策ができるようなことが要件で。

最後になりますけども、やはり市民との触れ合いの場がほしい。こういうのが寄港の目的です。観光のとこできますと、今知名度の高い観光地、昼食をしながら行くお客様が、だいたい3分の1くらいです。

で、半日観光、2、3時間くらいで観光してあとは船で残ってるという人が3分の1、残りの3分の1は何もしないでただ港周りでフラーっと遊んでいるという人が3分の1ということなんで、このような人たちがいかに満足できるかと、そういうのがあると思います。

それで、ここで、表が大きくてですね、ちょっと見えずらいかわかんないんですけれども、今まで飛鳥がこのネットワークの構成されている港に寄港した回数を年ごとにまとめてみました。

全体でいくとですとね、289回、寄ってますが、この酒田について言いますと、97年からですね、ずっと毎年コンスタントに2回ずつ寄港をしておりまして、2004年、今年も2回寄港すると。そういうような計画になっております。

で、これ、いろんな港についた写真を若干紹介しますけども、港に着くとこのように歓迎のアーチが出てまして、歓迎のブラスバンド、地元の高校生とかですね、いろんな方がやってくださるんですけれど。その写真です。

これあの、ちょっと夕方だったんですけども、岸壁が殺風景だということで、岸壁にこのようなテント村ができてですね、そこで地元の物産品が売られていたり、この場合はお蕎麦屋さんが出たりですね、いろんなこのように賑わいを港でつくっています。

先ほど言いましたように、3分の1くらいの人はまち行きませんので、この辺りでうろうろしていると、そういう姿です。

で、場所によっては観光案内所がこのように岸壁のテント村の一角に出て、自分のまちの観光PRをやっています。これはあの、飛鳥で非常に人気があるんですけども港でですね、浜焼きと称しまして、地元でとれた、それこそ美味しいものをですね、このように振舞っていただいて、これをお客様が食べているというところです。

これ、あの、港ではなくて近くの公園で、やはり、そういうバーベキューをやっていただいて、そこにお客様が行ってですね、食べている姿です。これはあのテンダーボートというボートで上陸した時に、漁業組合のですね、えさまき場の下に、このような歓迎の場所をつくって、ここで食べていると。

これはやはり街中の公園にですね、地元の食べ物で歓迎していただいているんです。なんか、この辺にアイスクリーム屋さんが、ちょっとこう出てきてるとかですね、そういうふうなのもあります。

これ、あの出航のときですけども、ずっと原木のよく見えている岸壁なんですけども、見送りの時に市民の方が来てくださいまして、このように出航して行くと。

ここは、あのちょうど黄色いハンカチで、また帰ってきてねとこういうことで、多くの方にですね、見送りをいただいています。このようなことで飛鳥がずっとクルーズしているわけですけども。

最後になります。日本海のクルーズの魅力というとこなんですけども。

私、相対的に考えると、やはり酒田とあの、いろいろな距離がこの右下の方に書いてありますけど、東京までが700マイルです。海里ですね。大阪800、奈良が1,080って、非常に遠いんですけれども、コルサック、一番上にあるサハリンまでが510、対岸のウラジオストックまでが440、それから韓国のソクショという港なんですけども、これがあの今、冬のソナタで一つの舞台になっているソウルのずっと東側の港なんですけども、そこまでが530というふうにですね、非常にこの日本海を囲む諸国とのですね、距離が近いというのがですね、いろいろなこれから魅力を発してくるんではないかと、このように思っています。

で、あとですね、もう一つの特徴は、風とかですね、波という状態なんですけども、こちらに住んでいると風が強いとか波が高いんだと、こういうふうに思われがちなんですけども、これ、あの海上マップのデータをつつっとたどってみてですね、青線が伊豆大島における、これは風の強さなんです。そして赤いところが、ここのとび島側の、あたりの風の強さなんですけども。

こうやって見てみますと、非常に風はですね、太平洋側よりもずっと弱いんですよ。ということがわかります。これは波なんですけど、波の高さもですね、意外と波が低いということがこのようなところで見ることができて非常に海のコンディションもいいものですから、クルーズといいますか、海の道をですね、つくりやすいのが日本海だというように思っております。

やはりそんなことを思うと、やはりこう、脳裏に浮かんでくるですね、北前船の航路ということになるわけですけれども、函館から大阪までというふうに見ますと、太平洋で行くと810海里でですね、日本海で行くと940海里あるんですけども。

やはり、当時の人たちは非常に有利なですね、日本海を南北に走って行ったと。

このようなことから、やはりこの日本海というのは、非常に海のルートとしては魅力があるというのはですね、先代の人たちも十分に気がついていてですね、いろいろと文化をつくってくれたんだなと、このように思います。

で、こういったことで、私のですね、話を終了させていただきたいと思います。

これはあの、世界一周クルーズの時にマルセイユの沖合いを走ってる飛鳥をですね、ヘリコプターから、このように写真を撮ってみました。

どうもありがとうございました。
 
水戸部:どうもありがとうございました。

日本海クルーズ、船っていうのは、たくさんの人数を運んじゃうんで、一挙にこう、コミュニティが発生するといいますか、そのコミュニティが移動しながらそれぞれ接触を持つと、いうことで、とても魅力的だと思います。

北前船が、その酒田に寄港していたあたりは平均、最盛期のときは、まちに1,000人くらいの人数があふれ出たわけですよね。これって、交流人口の最たるもので、それだけでも町おこしになるか、いうくらいの人数だと思います。

これから本題のフォーラムになりますけれども、女みなと会議では、「ちまたづくりは、みなとづくり。みなとづくりは、ちまたづくり」という風なキャッチフレーズのもとでやってますけど、まちづくりに関して、港がどんなふうに活用されているかも含めまして、今度は酒田市長さんの方から、これも短くて申し訳ないんですが、5分間、コンパクトに強力にまとめてほしいと思います。
 
パワーポイントデータをダウンロード阿部:はい、それでは、少しお時間を頂戴して、酒田市のまちづくりということで、15分ではなく、5分ですので、話足りないところがいっぱいあるかもしれませんが、なるべく簡単に説明したいと思います。

その前にでありますけど、日本海にぎわい交流海道ネットワークということで、記念すべき10回の大会がこの酒田で開催できたということで、本当に光栄に思っています。
全国各地から北前航路の仲間の皆さんがお見えになっているわけです。心から歓迎をしたいと思います。

さて、それでは5分間ですので、あんまり無駄なことは話してられませんので、早速本題に入らせていただきます。

酒田市のまちづくりということで、書いてますが、まず象徴的なものとして、この明治43年でありますけども、この絵をちょっと用意してきました。

何を言いたいかというと、先ほど大井さんでしたかね、酒田港の発展っていうのはいろいろあるわけですが、一つのポイントとしては、この広大な、肥沃な庄内平野に作られた米、これを山居倉庫に集めて、これを北前船とかで蔵前とか堂島とかに運んでいって、富をなしてきたという。それだけではないんですが、港町が酒田の町の豊かさをもたらしたんだということをおわかりいただこうと思ってまずこれを出しました。 次お願いします。

で、そういうことで、同じことで酒田の町というのもやはり今、経済的には苦しいとか、そういう話がありますが、やはり活性化を考えていく時にここから原点に戻って、港を中心にまちづくりを組み立てていこうというような発想を今とっています。

その一つが、これ国土交通省から提唱を出されている構想、リサイクルポートという構想でありまして、これにともなって、ちょっと具体的な企業名は入っていませんが、酒田の臨海の工業団地の中にも新規に7社ほど立地して操業をはじめているというような状況です。

またさらに進出企業が出てきておりますので、これからもう少しこの今遊休化している地域についても埋まってくるというふうになっていると思います。次お願いします。

一つは象徴的なものとして、去年1年間で建った、あのPCBのリサイクル関係の施設の、これ去年1年間で建った、今現在まだ継続して建設中のものですが、ま、こういうような形で1年間で、ここにあるだけの10棟くらいの建物が建ったということで、構想が、リサイクルポートの構想で動いているということをご覧いただきたいなと思います。次お願いします。

それから、酒田の町っていうのは、決してその港、貿易港としての港からまちづくりが成っただけではなくて、港を多面的に利用しています。

先ほど大井さんから、日本一古いと言われている、現存するものでは日本一古いと言われている六角灯台の話がありましたが、港に親しむとか、港を観光面でも使っていきたいというふうにも思ってまして、これが日和山という、六角灯台を入れて港を見た写真ですね。

観光面でもさっき新湊のことを大井さんは大変力説されてましたけれども、大井さんが酒田出身だったら、どんなに酒田のことを熱く語ってくれたかなと思って、これからファンになってもらえばいいと思っていますが。

こういう風なことについても取り組んでいるということで、次お願いします。一つが海鮮市場ということで、臨海地域に公園的な整備もしましたけれども、海産物を買ったり食べたりというところを港を利用して、酒田の観光を活性化していこうということで、こういうのをつくっているんですね。 次お願いします。

同じように、先ほど、港とは直接関係ないのかもしれないけれども、一つは、酒田の港、町っていうのは、米によって栄えたって言いましたけど、その米蔵を活用して観光物産館を整備しているという様子ですね。

大変人気がありますので、庄内米の扱いが少し足りないというご指摘も受けましたので、これから考えていきたい、いかなきゃいけないなと。次、お願いします。

それからですね、もう一つ、人が歩いていないなんて、これ見て話をされたのかな。

酒田市のもう一つの課題としては、中心市街地の空洞化というのは、これどこの街でも抱えているんですが、これも大火後にですね、復興をしてきて、その当時は素晴らしい構想でつくったんですが、車社会に少し乗り遅れた面があるのは、これ否定できない。やはり中心市街地っていうのは酒田のまちの顔です。ということで、この活性化のために、さて、次お願いします。

このようなかたちで、再開発、業務系の再開発を少しやる。

ま、商業系はちょっと厳しいと思うんですが、業務とあと住居関係で、商業も含めてでありますが、再開発してますんで、なんとかうまく機能していくんではないかなというふうに思っています。

今申し上げましたのは何かっていうと、酒田のまちづくり、結局はもう一回原点に返って港づくり、港からスタートする。

それは貿易港やリサイクル関係の港としての酒田港の活用であるし、また観光の拠点としての酒田、そして港町の風土というかな、培ったまち、賑わいというものを再現するための再開発というかたちで今取り組んでいるわけですが。

いずれも、これも大井先生と相談してきたわけではありませんが、私自身も酒田らしさ、つまり酒田にあるものを大切にしながらまちづくりをしていくことが、偽者ではないまちづくりをしていく上で重要ではないかと、偽者っていうのは、最初は目を引くかもしれないけれども、いづれ飽きられるし、何よりも住んでいる人に心地よくありません。

したがって、酒田らしさを大切にしたまちづくりというものがこれからの課題ではないかなと思っているところであります。だいたい5分くらいですかね。

どうもありがとうございました。
 
水戸部:ありがとうございました。5分にまとめるのも実力のうち。というふうに脅迫しておりましら、もう本当にぴったり5分でおさめていただきました。

鳥海山は、将来にとってもシンボルですけれども、たそがれ清兵衛の時も、みんな鳥海山を見て感動した! という声が大変多かったんですけど、地形をいかに生かしていくかということを品格のあるまちづくり、それからインパクトのあるまちづくりがとっても大切なことだと思います。

続きまして同じテーマで、篠田新潟市長さんに、またまちづくり、お話いただきたいと思います。
 
パワーポイントデータをダウンロード篠田:はい、では新潟のまちづくりについて、若干お話をさせていただきます。

新潟と酒田、本当になんかよく似ているなという感じ、こちらに来て、来る度にそう思います。

新潟は、延喜式で蒲原の津ということが記載されている1,000年の歴史を持つ港町ですけども。何といっても港町として栄えたのは西回り航路の開通から。

今日酒田港に行ったら、日和山公園ですかね、河村瑞賢さんの銅像がちゃんと建っていた。新潟は本当に西回り航路を開発した河村瑞賢さんの恩恵をこうむっているのに、我々は、それ、検証しただけということで、ちょっと恥ずかしく思いましたが。

恐らく酒田港の方が先に、西回り航路の寄港地ということで、指定されて、その10年後くらいに新潟港が指定をされたんではないかと、いうふうに記憶しています。

新潟港は指定されてから、めきめきと拠点性を増したということで、江戸の中期には北前船の最大の寄港地ということで栄えておりました。そして開港五港のひとつに選ばれたということなんですが、開港五港の他の4港に比べると、新潟港一つだけ違ったところがある、それは港の見える丘がないということです。

新潟はまっ平らな越後平野の港ですので、残念ながら港の見える丘がない。日々港を見て、港町ということを実感することが残念ながらできなかったんではないかというふうに思います。そういう中で、何となく港町という気風も少し薄れていたような気がしますけれども、
ここで、じゃ、最初のスライドお願いします。

そういう港の見える丘がなかった新潟なんですが、ここの島、これ万代島という島でございます。その島のところにちょっと高いホテル日航でございますけれども、これができたと。去年、オープンしました。これによって、ここから展望すると、まさに信濃川がまちのど真ん中を流れていると、そして反対側を見ると、港が広がっている。

まさに港の見える丘がやった誕生したということで、ようやく新潟、港町になったという気分が、それを確認する動きが最近強まっております。

その新潟なんですけども、今最大の課題は、合併をして、拠点都市、名実ともに日本海側の最大の拠点都市になろうということで、13市町村の合併協議が成立して、来年の3月21日、78万都市新潟誕生というポスターを作りました。

巻町というのが今、原発で大騒ぎしていた町ですけれども、それがさらに合併協議させてくれといってるんで、おそらく81万というかたちになろうかと思います。

次お願いします。あっ、これになっちゃったですね。

ま、とりあえず、この、これが13市町村、こんなにいろんなものがありますよと。
ちょっと小さくて見にくいんですけれど、大変多彩な魅力を持っているこの13市町村が集まると。

今まで新潟市、見るところがないということを変に自信を持っておりまして、売り物にしていたと。私どもが言うなら、ま、言いませんけど。タクシーの運転手までが、「新潟どっか連れてってくれ」というと、「お客さん、新潟なんか見るとこありませんよ」と、胸を張って言った町だったんですが、今度はこれだけの魅力が勢ぞろいしますよと。それは私ども今までないものねだりをしすぎてたんじゃないかと。

新潟にないもの、地元にないもの、東京にしかないもの、それを追い求めていて、リトル東京をつくってしまった。今度はないものねだりから、あるものさがしに意識を転換しよう。

その意識転換の最大のポイント、好機、これが13市町村の合併というタイミングだろうというふうに思っております。こんなにすばらしいものがあるとみんなで確認するのが、78万都市合併の大きな要素だろうと思います。

次お願いします。これが田園型政令指定都市という新潟が目指す政令指定都市、田園型政令指定都市というものを新潟は目指していると。政令都市という高い都市機能、拠点性、そして田園が持つ多面的な機能。水田の持つ多面的な機能。ゆったり感。これを共に味わえるというのが田園型政令指定都市の目指す方向です。にいがた港、江戸時代から商人自治という形で、長岡から大半の自治の機能を新潟の町人衆が預かっていた。犯罪の捜査から町の取り締まり、みんな町人がやっていた。

そしてもう一つは、田園型政令指定都市。

これは農村と都市部、これが互いに恵み合う関係、互恵型の関係をつくろうというふうに思っております。

江戸時代の新潟、「お日和もらい」という言葉がございました。新潟に寄港した船の船頭さん、新潟11月頃から荒れますんで、なかなか新潟に寄港したら、今度船出ができないと。

そういう時に新潟の町人衆、旅館の親父、近くの神社に行って、そろそろ良いお日和が来ますように、そして船人たちが船出できますように。ということをお祈りする習慣がございました。相手の船人たちが居続けてくれれば新潟港いいわけですけれど、それでは船人たちが大変だろうと。船人たちも良くなることによって、新潟も良くなる。互いに恵み合う。そういうお日和もらいの習慣が江戸時代からあったと。それを新潟の互恵型の田園型政令指定都市、ぜひ反映させたいと思っております。

もう1枚あるでしょうか。今、田園と港町が恋をしているということでございます。

平成17年3月21日、私たちは結婚します。そしてその2年後、平成19年4月1日、田園と港町の愛の結晶、政令市が誕生するというシナリオで今、やっております。

新潟は田園とそして、この都市機能、これをいたずらに混合させない、混ぜ合わせない。田園は田園の良さ、そして都市は都市の良さ、それを互いに享受できる、そういう田園型政令指定都市にしたいというふうに思っております。

以上であります。
 
水戸部:ありがとうございました。なんか大井さんがシナリオを書いたみたいな結婚するとかですね。あの夢があって大変楽しく聞かせていただきました。

私、日和山っていう、新潟訪ねました時に、日和山は新潟は今は新旧、新しい日和山ができているんですよね。

市長さんはご存知なかったですか。
 
篠田:こちらに来て、港町っていうのは日和山があるんだなというふうに思いました。

新潟の日和山は、海岸決壊で、ちょっと侵食されて無くなったりしてるもんですから、また今新しい日和山、一部がこれから、酒田の日和山公園のようにきれいにできればいいなと思っております。
 
水戸部:そういうことなんですね。日和山も江戸時代の辺りから消えかけてですね。大変地形的な、なんでしょう、災害というんでしょうか、その日和山の場所もちょっとどうかなっていうところだったんですけども、その上に、櫓を組んでですね、その周りにお茶屋さんがあったんで、たいへん新潟はご商売が上手なはずなんで、それをまた復活していただけたらいいなというふうに思っておりました。

時間が押してきてますけれど、これからちょっと部を分けてですね。

野竹副局長さんにですね、今までご発言をお聞きになって、行政側の管理者として、どのようにそれに対応したり、支援していくか、というお役人の発言をいただきたいと思います。
 
野竹:東北地方整備局の野竹でございます。

お役人の発言になるかどうかわかりませんけれど、今まで各パネラーの皆さんから先進的なまちづくりだとか、あるいはそれぞれの地域の特性を生かした、あるいは港の特性を生かしたまちづくり、あるいはクルーズの魅力についてお話がありました。私の方からですね、港を中心とした、港町づくりという施策を今やっておりますけど、これについての国の考え方について、まず紹介させていただきたいというふうに思います。

皆さん、港っていうのは、必ずしも通常の生活に近い状態ではないっていう方が多いと思いますけれど、そう行ったことも反省も踏まえまして、最近、あの2年前ですけれど、平成14年の11月に、港湾行政の主なありかたについての国の審議会の答申があったんですけれど、そのなかでですね、本来の港の持つ物流の機能の強化とか、あるいは環境、酒田市長からリサイクルの話がありましたけど、環境への貢献。

それから防災とか安全という機能。こういった港の、本来もつ基本的な、課題の対応と並んでですね、港町づくりの推進ということが位置づけられました。

これはその地域が個性ある発展を将来にわたり着実に進めていくためには港の資産を、住民とか市民の視点から再評価すると共に、観光産業や水産業などの地域産業や、海に開かれた歴史や文化などの港の資産というものを最大限に活用して、港、それからその周辺をですね、市民とその共同により、美しく活力あるにぎわい空間とすることが重要である、こういった認識になぞって、この港町づくりを推進っていうことをしていかなければならないのでございます。

ちょっと繰り返しになってしまいますけども、この取り組みっていうのは、最近の港が、ハードの整備ですね、というものが中心であり、またその物流だとか産業活動だとか、市民の生活に直接結びつかない、そんなものが中心だった。そういう存在となっていったことの反省を踏まえて行っているものでありまして。

またその行政による取り組みだけではなくて、市民による計画の策定をしたり、あるいは市民が施設の管理・運営をやったり、あるいは学習の場としての港の活用、そういう新しい施策も活用しながら、港というものを市民により近づけるための様々な取り組みってものが、これ全国の港で行われております。

昨年、国土交通省の港湾局では、全国で13港の港町づくりの取り組みについてガイドブック、港町づくりガイドブックってものを取りまとめまして、ま、どんな活動をやってどんな成果、課題が得られたかってことを整理したようなものを出しました。

ま、この中には、日本海の港も4港が紹介されているわけでございますけれど、さらに本年度にはですね、市民による港の資源の利用とか活用にかかる先進的な、あるいは新規的な取り組みを行う港湾について28港取り上げまして、もちろんこの中には地元の酒田港も入っているんですけれど、その取り組みを支援していきたいというふうに考えております。

今後ともですね、我々と致しましては、全国の港のまちづくりに関わる取り組みや、各それぞれのところで得られた知見などのノウハウについて取り込みまして、国として情報発信を行っていきたい、情報提供を行っていきたい、ということで支援をしていきたいと思いますけども。

これも決してですね、金太郎飴的に、ここの港でこんなことやっているから、同じことやればいいということではなくて、それぞれの取り組みを参考にしていただいて、先ほど、あの、酒田市長も言われたんですけど、やはりその土地らしさとかね、個性のある、他の真似ではない、それぞれのそのまちの持っている特性を生かしたまちづくりってものを、そういった情報を参考にしていただいてやっていただければありがたいと思っております。

それから田中さんのほうから、クルーズの振興についてお話ありましたけれど、これも非常に日本の観光振興だとか、あるいはゆとり社会形成ということからも非常に重要な部分というふうに思っております。

特に、市民の憩いの場所であります港町にですね、他の地域の人々を直接連れてきてくれて、新たな交流の機会をつくってくれるクルーズの役割っていうのは、先ほど私がお話しました港町づくりにとっても非常に大きなものがあるんじゃないかと思っております。

この港町づくりの精神によって、先ほどクルーズの寄港の出だしのとこで、4つの寄港するって話がありますけど、日本海の各港がもっとこう魅力を増してですね、クルーズのお客さんがするのが、港で観光してあるいは町で観光した時、もっと楽しめるなっていうことになればですね、クルーズの振興、それから地域の振興、両方の面からプラスになっていくんじゃないかということで、今後とも非常に期待していくところでございます。

以上でございます。
 
水戸部:ありがとうございました。
前半はまちづくりテーマを力点において話していただきました。

後半はですね、交流というふうなキーワードで、酒田市長さんから、交流について、5分という短い時間で。
 
阿部:もっと短くですね。
はい、スケジュール管理たいへんだと思いますので、短くなるべくやります。
 
水戸部:ありがとうございます。
 
パワーポイントデータをダウンロード阿部:それでは、交流と連携ということで、少しテーマをいただきましたので、酒田市で考えていることを少し話させていただきます。

これは、昔からずっと出てきているものですね、あら、新潟のちょっとないですが、一応、2港入ってますんで。ま、こういうようなことで西回り航路とかっていうことがあったわけですね。それだけ今このメンバーになっている皆さんのつながりは、今でこそ、まあそうでもないかもしれませんが、昔は強かった。

やっぱりこれは、同じような言葉が残ってたりというようなことがあって、文化が残ってたりというような、この新潟の方とか、秋田の方まで含めて、ずっと日本海側そうだと思います。こういう結びつきっていうのはやっぱり、大事にしたいなと、精神的なふるさとっていうような面もあると思いますので、ぜひ大事にしたいなと思いますね。

はい、次お願いします。それで、酒田がリサイクルポートの指定を受けましたけれども、今そんな関係で、例えば具体的な事業としては姫川との、姫川港との連携なども進んでいます。次お願いします。

それは、例えば、この姫川港へ、酒田の方で木材輸入した木屑を輸出というか、移出してですね、そこで資源として活用いただいたりしています。それからですね、もう一つ、港の活用になんで高速道路が出てきたのかということを申し上げますと、実は港、こう道路ができる前は、港が、船が道路の役割を果たしていたわけでありますね。

しかし、必ずしも競争ではなくて、実は港の機能を補完しているのが道路だというようなことをちょっと申し上げたいと思ってこれを出させていただきました。次、お願いします。

って、いうのはですね、これ、あの、酒田港のコンテナ、まだまだ他の港に比べれば少ないのかもしれません。これはちょっとTEUではなくて荷主数でやってますが、高速道路が開通したことによってですね、荷主の数が飛躍的に増えている。しかも不景気だといいながら、それが落ちないでいるということをご覧いただきたいというふうに思います。高速道路を通る荷主だけではありません。

高速道路によって、一般道がすくことによって、そこが走りやすくなって、使いやすくなるという面もありますので、そのようなかたちで道路整備っていうようなものも、実は内陸の荷主が飛躍的に増えていますので、道路整備自体がやはり港の活性化というものに大きなことなんだなと。

ネットワーク自体、海のネットワークだけではなくて、陸のネットワークも考えて、港の整備っていうのは考えていかなきゃならないだろうということをちょっと考えさせていただいています。

さて、あの最後にちょっと一つだけお話をさせていただきますと、日本海は可能性の海だと私は思っております。これは、対岸諸国の経済発展によっては、やはり日本海にもう一回日があたるということが出てくるはずですし。

もう一つは、モーターシフトっていう環境にやさしい輸送手段として、海洋輸送というのがたいへん注目されていることで。そんな中で、内海的な色彩の強い日本海というのは、さらに再び脚光を浴びる可能性が非常に高いと思います。ただそれは、新潟なら新潟、酒田なら酒田という一つの港だけで、その流れをつくることは困難だというふうに思います。

ゆるやかなネットワークづくりという形で、日本海にぎわい交流海道ですね、このような集まりっていうのは、たいへん私は意義深いものがあるというふうに思います。

例えば、酒田港だけでは必要な荷物が活用できないとしても、新潟がその気になってくれればですね、(新潟)市長さん、共に連携をしてですね、対岸諸国に、あの、例えばルートを築いていくとか、新潟、酒田、そして富山というような形で、ずっと物流ルートを形成していくというようなことが、お互いの協調によってできることが出てくる、一つの港では経済ベースにのらないことがあったとしても、交流をつくることによって採算がベースにのってくる可能性があるわけです。

そんな可能性を模索する集まりであり続けたいなというふうに思います。

会長さんである新潟市長を支えるようがんばってまいりますので、ぜひ、そういうような協議会にしていきたいなというふうに思います。

日本海の港、ライバルでもありますけれども、仲間でありますので、そんなつもりで、これからもどうぞよろしくお願いしたいということで、私の話は終わります。

ありがとうございました。
 
水戸部:たいへんすてきなまとめ方をしていただきました。また酒田市民としてもやる気が出てくるような気がいたします。

二酸化炭素をたくさんばら撒く車よりは、清潔で、どちらかというとクリーンエネルギーといってもいいんじゃないか、その船がもっと活用されるということもこれからは大事な課題だというふうに思います。

新潟市長さんに、それでは会長としてのまとめをお願いします。
 

篠田:はい、新潟市も先ほど申し上げたように、今まで見るところないといっていたんですが、実は1世紀前、江戸時代の後期はもっと活気があったかもしれませんが、日本で一番訪れてみたい町ベスト10というような番組がその頃あったらですね、新潟は必ずトップ10に入っていただろうというふうに思います。

その証拠に、江戸の末期、勤皇の志士たち、例えば吉田松陰さんとか、清河八郎さんとか、そういう方たちが先を争って新潟に一度、新潟に行ってみたい。でなければ死ねないと。新潟に行ってそして新潟で遊んで、その後に国事に倒れても本望であるというような、そのくらい新潟の町っていうのは魅力を持っていたと。

なぜなのかというと、勤皇の志士のイデオローグが新潟に立っていたのも一つなんですが、それは表の理由であって、おそらく新潟情緒、そして新潟のもてなしの心と食、さらに新潟の女性、これが勤皇の志士たちを引きつけてやまなかったと。

もう文人墨客、ほとんど新潟港に来ない人みたいな、いうような状況でありました。

その新潟が、堀が無くなっただけでなんでこんなに変わっちゃったんだろう、っていうふうに思います。
堀は残念ながら1本も無くなりましたが、その他のものはすべて残ってるんじゃないか。

で、特に古町芸妓さん、我々の誇りでございますが、古町芸妓を中心とする新潟のもてなしの心という、間違いなく食の魅力というのは当時よりもさらに増していると、それを我々はもっともっと活用しなければ罰があたるんじゃないかというふうに思っております。

今日酒田に来て、相馬楼で舞妓さんの踊りを拝見しました。
これも新潟と酒田で知恵を出し合って、互いに若い芸妓さんどうやればつくれるか、ということで知恵を出した一つの結晶ということで、それが今受け継がれていることはたいへん嬉しいと拝見しましたが、そういうものをもっと私は育てて新潟の交流人口をこれを増やしていきたい、いうふうに思っています。

そしてまた新潟のもう一つの誇りは、自治体外交っていうものを、ずっと長く続けてきた、今年はたまたま新潟地震から40周年ということで、その新潟地震で大被害を受けて当時のソ連のハバロフスク沿海地域の方が、新潟に木材を支援してくださった、支援物資ですね、木材を。それを縁にして、その翌年に新潟市とハバロフスクが姉妹都市ということで提携して、したがって来年が40周年になると。

で、今、日露沿岸市長会議というものを隔年で開かれております。
去年はロシアのカムチャッカで開かれました。この時に我々は、両方連携して、今ようやくロシアと日本の経済交流が本格化しようとしている、その時にサハリンのガス、そして東シベリアのアンガルスクから石油、油田。そこからのパイプライン。これを引いてこようと。中国に引くんじゃないんですよと。

まずナホトカに引いて、それから日本へあげていくということを。これを両国政府に、日露沿岸市長会議のメンバーが一緒になってあげていきましょうと。
こういうことで審議をして、両国政府にはたらきかけた。これはやっぱり非常に産業経済省から喜ばれました。

とにかく向こうの国も連携して同じことを、シベリア、そして極東の都市が立ち上がってくれた。いうことは、我々にとってたいへん心強いことで、いうようなことを言っていただいて。やはり連携の効果っていうのは、結構ばかにできない大きなものがあるんだな。

で、先ほど酒田市長さんがおっしゃったように日本海側の港同士が連携すれば、今まで意味もなくトラックを走らせてですね、京浜港に、新潟のものが製品がどんどんどんどんここへトラックで運ばれて、そこから京浜港からあちこちに出て行く。

それを新潟のでてきたものは新潟港から出すと、いう当たり前のことをやれば、トータルコストは本当はぐっと安くなるし、環境にとってもずっと良いわけなんですが、残念ながら長年の商社などこの流通ルートが、そういうふうに京浜港に集中するということでできあがっちゃっていて、それをまだなかなか壊せませんが、輸入の方は完全に壊しかかっている、壊せる状態まで来ていると思っています。

そのためにコンテナの伸び、毎年20%以上、二桁の伸びを示しているということですので、ただ残念ながら今のところ、帰りのコンテナが、積むものがないという、がらがらの状況である。

これをもう一度、輸出の方もその枠組みを壊して、そしてトータルコストを安くして、環境にやさしい、そういう面から見ても、地域にあるものを地域の港から出すのは当然だ、いうネットワークづくりも同時にやっていくべきだというふうに考えています。

そういうことをやれば、また江戸時代に日本海が北前船の一番栄えた地域だったわけですけれども、そういう新たな日本海時代がもう時期、到来するだろう。

そういうふうに思っていますし、それは連携なくしては日本海時代はつくれない、というふうに思いますので、まずは我々、日本からの連携、そして対岸との連携、これをさらに自信を持って踏み込んで行きたい、というふうに思っています。

よろしくお願いいたします。

 
水戸部:熱い想いを語っていただいたところで、ちょうど時間なんですけれども、お許しをいただいて、ちょっと。

大井さんは昨日、8時間かかって、酒田にお越しいただいて。
恨みをそのまま持ち帰られると、怖いものがございますので、最後にぜひ3分くらい、締めていただきたいと思いますけれども。ご提言をいただけたらと思います。
 
大井:はい、あの皆さんのお話をうかがっていて、今回、この日本海にぎわい交流ネットワークの10周年ということで、やはり皆様のキーワードは北前船っていうことは非常に感じました。

あの、二十世紀は物を壊していってしまった時代なんですけれど、新しいもの、新しいものと追い求め、それで、どんどん、アメリカナイズされたといいますか、新しいものに向かって行った時代ではあります。しかし忘れてしまった、失ってしまったものも随分多い。

そこで、今、本当に中央から遠かった日本海というのが、逆に今、新しい時代を迎えられるんではないかと思います。

それはキーワードはやはり北前船で、日本が栄えてきたことを今、我々というか、日本海側の各港に北前船が寄港し、そしてそこで積み、交流していった跡がしっかりあるわけですから、その土地の原点にやはり、今、酒田市長がおっしゃったように、原点に返ってみると、いかに自分たちの土地が豊かで、誇らしげなところであるということが、きっとわかっていただけるんじゃないかと思います。

そしてそれを市民の人たちに、しっかりアピールするというか、PRして、市民が、本当に自分たちの町はかつて栄えていた、今もこれからも栄える要素は完全に持っているんだぞと、いう自信につながるような形で行政の方もサポートしていただいて、そして皆様がきっと北前船を一つの媒体にして、ここに集まっていらっしゃるんでしょうから、今後、一つのムーブメントとして、各港、北前船がかつて寄港した港町のオリジナル、こうだったぞと、もし何年後かに持ち寄られたとしたら、すごくすてきな日本海浪漫紀行というような形で、取材させていただけたら、嬉しいなと思います。

私はこのように今回、北前船がキーワードであり、可能性が非常にあって、今できることは、本当にその土地の魅力を皆さんが自信を持って発掘していらっしゃることではないかと、強く感じました。以上でございます。
 

水戸部:ありがとうございました。
それじゃあ、田中様、どうぞ。

 
田中:まず、飛鳥という名前なんですけども。

飛鳥という名前は、飛鳥文化の飛鳥からこの名前をつけました。
我々、船をつくる時に、この船で何をしたいのか、という時に、やはりあたらしい洋上の文化をつくりだしていこうということをひとつのコンセプトにしてやったわけです。

その時に、やはり重要にしたのは歴史と文化からということで、やはり船というのは歴史と文化を運んできたというその歴史をですね、しっかりと受け継いでいきたいということで、日本にやはり大陸の文化をもたらした、あの飛鳥時代にちなんで飛鳥という名前にいたしました。

やはりあの、先ほどから話をうかがっていまして、やはりこの日本海の各港に大きな文化がありますので、なんとかこれを船がまたつなげる役ができればなと、このように思っています。

あの、具体的には、今年のですね、9月の4日と6日に飛鳥が酒田港の方に寄港させていただきますし、特にあの、来年の3月30日は日本一周クルーズという中で、飛鳥がですね、この酒田の港に帰ってきます。これ、あの完全に観光を目的とした、先ほどの話じゃないんですけども、寄港になりますので、ぜひ、飛鳥で来られた方々とですね、そしてまた酒田の方々と、いろいろな意味でのですね、交流がその時にできればと、このように思っておりますので、たくさんの皆さんにですね、港に来ていただいて、また飛鳥と一緒にですね、ひとつの時が送れれば非常に嬉しいかなと思いますので、よろしくお願いします。
 
水戸部:ありがとうございました。
確か酒田港に着いの2回とおっしゃっていましたね、もっと回数多くなる可能性あるんですけど。

それじゃですね、最後に観光の情報まとめて、野竹副局長さんに締めをしていただきます。
 
野竹:締めになるかどうかわかりませんけど、あの今日のテーマ、それから各パネラーの皆さんのお話、やはり共通の言葉として観光という概念があると思うんですけれど、その観光の政府の取り組み等についてちょっと紹介して、最後まとめさせていただきたいと思うんですが。

観光の持つ意味、これはいろんな意味あると思いますけど、観光交流を通じた経済の活性化だとか、あるいは美しい日本をつくる、魅力ある日本をつくる。それから先ほどお話でましたけども、地域や日本のその歴史や文化を再認識する、いろんな意味があります。

また、国際相互理解、そういう動きもあると思います。特にですね、経済の活性化という面では観光というのは、21世紀のリーディング産業というふうに言われておりまして、あらゆる産業に関係する裾野の広い総合産業というふうに言われております。ちょっと数字言いますと、直接効果としては旅行消費額が21.3兆円だとか、雇用創出効果が187万人とか、ま、いろいろ数字があります。

経済波及効果はなんか約50兆円とか。そんな数字もあります。こういった観光というのは、これから力を入れていかなきゃならない分野なんですが、若干問題がありまして。

一つはですね、日本の観光というのは、国際観光交流というのが、非常にアンバランスがあってですね、日本人が海外に行く、日本人の海外旅行者は1,650万人くらいなのに対しまして、訪日する外国人旅行者っていうのは500万人ちょっとしかいない。
要するに3分の1以下ということでございます。

したがって、その日本人が外国に行って使うお金と、外国の方が日本に来て使っていただく金っていうのが、ま、渡航収支、国際渡航収支といえば、2.5兆円くらいの赤字になっている。という状況にありまして、今、その日本政府は、観光立国に向けて、特に外国の方を日本にもっと来ていただくための施策に力を入れているというわけです。

グローバル観光戦略というものを構築しまして、いろんな外国人の方を来ていただくための、取り組みをやっております。
ま、その時その時に、ビジット・ジャパンキャンペーンというのがありまして、2010年までに、今500万人の外国人訪日客を2倍、1,000万人くらいにしていこうと、こんな目標で、いろんな活発な活動をしております。

またあの観光立国行動計画という、計画を作りまして、日本の魅力、地域の魅力を確立して、一地域一観光という形で、それぞれの地域で観光をできあがるような、あるいはその観光カリスマ、百選といって地域地域のそのカリスマ的な人を選んで、いろんなその取り組みをやってですね、観光立国、あるいは外国からの観光客の増加に努めると。これを政府を挙げて努めていると、そういう状況にあります。

あの、これは別に外国人だけをターゲットにしているわけではなくて、ま、当然その外国人に魅力がある所っていうのは、日本人にとっても魅力があるわけでございますので、あの、それぞれの地域の皆様がやはりまちづくり、あるいはその、クルーズなんかを利用して観光していただいて、やはりそのまちづくりで、それからその、あるいは観光に力を入れて、その地域の見所を増したところに、やはり人がやはり集まってくるんだろうと思います。

そういったわけで、今日のそのテーマにありました、まちづくり、クルーズ、こういった取り組みによってですね。ぜひまちの活性化をして、にぎわいのあるまちづくりをしていただきたいっていうふうに思っております。

あの、最後に私思うんですけれど、リゾートホテル行ってもですね、オーシャンビュー、普通の部屋よりも高いですね、グレードが。

やはりまちづくりでも、ま、どのまちでも、いろんな町で取り組むんですけども、港町っていうのはやはりその、港という、非常に人の心を和ませる、その水面、あるいはその港の活動、そういうものを景観として持てるまちなんで、そういう意味で非常にその有利な条件にあるというふうに思います。

そういった意味で、まちづくり、特に港を中心にしたまちづくりというものをぜひこれからも力を入れていただいて観光を振興していただき、あるいはクルーズ、飛鳥にもどんどん乗っていただいて、地域が振興していくことを期待しております。
 
水戸部:ありがとうございました。

地球に人口が60億おられるというわけで、今1割くらいがこう、出稼ぎ交流人口になっている、6億の人たちが移動しているというふうな数字が出ていますけれど、一つ、最後に、私も偉そうなことを言わせていただきますと、日本に日和山っていうのが地図の上だけで127ヶ所あるんです。2年間かけて82ヶ所、まわったことがありました。

ほとんど日和山っていうのは、木造の千石船、1枚帆の船が寄港したところです。
その港は、今どうなっているのか、というのが、私にしては最大の見所でございました。港っていうのは放っておくと、たちまちに釣堀に変貌しちゃうんですね。

港は本当に手を加えたり、知恵を出したり、それからですね、港を活用する、ゆうこうを持ってしないと、港っていうのは生きてこない。そして、港のあるまちは元気のあるまち。元気があるまちは港で栄える、いうくらいに、どうしてもまちづくりと一体にならないとやってはいけない、いうところが、私の学んだ最大のことでした。

今日のお集まりの中には日本海の起点にしまして、このネットが組まれているわけですけれども、これからは地域がですね、お互いに地域同士のネットを組みながらマネージメントをしていく時代なんじゃないかなと、いうことを切実に感じました。

最後にですね、女みなと会議の紹介を含め、女性が入ると港もまちも、ですね、自分の家のように。
女性っていうのは、狭いが故に、本当に徹底して自分の家のように考えるんですね。

一生懸命になる時も、こんなものがあったり、こうした方が使い勝手がいい、こうした方がより便利な生活ができるんじゃないか、いうふうに案を出していきます。港、そのものはこれからつくっていくだけじゃなく、使い勝手を、使い方をどういうふうに有利に使っていくかというのが課題じゃないかなというふうに思います。

大変長いこと、すっかり定時まで15分もオーバーしてしまいましたですけれど、お詫びして終わらせていただきたいと思います。

どうもありがとうございました。
 
司会:水戸部様、コーナーの取りまとめ、どうもありがとうございました。

またパネラーの皆様方にも大変参考になるお話をありがとうございました。コーディネーターとパネラーの皆様方にもう一度拍手をお願いします。

それでは、以上を持ちまして、今回の日本海にぎわい交流海道ネットワーク10周年記念フォーラムin Sakataを終了いたします。

どうもありがとうございました。
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